福島県立福島高等学校同窓会野球部文月会梅苑会
菅 野 守
本日「職員室」をのぞきました。思い返せば高校時代、私は職員室に一回しか入ったことがないと記憶しています。
その「職員室」の大内寛隆先生の「「二兎」を追う」に私の名前が登場し、大変驚いています。
大学は文学部哲学科倫理学専攻で高校では倫理の「先生」をしていますが、ここ数年、福島市の「部落」出身で水平社運動の活動家あった平野小剣の研究を続けてきました。
その一つの成果が大内先生に紹介していただいた「関東水平社福島支部主幹者「栃木勇吾」とは誰か」です。 論文掲載の『解放研究』第19号は、大内先生のお手を煩わして、福島高校、福島県立図書館、平野の母校であった第三小学校等に持参していただいています。
小・中学校の社会科教科書のほとんどには奈良の水平社運動の活動家であった山田孝野次郎の写真が掲載されています。山田は水平社活動家の中で最も有名な人物といえます。その山田は1923年9月1日の関東大震災時に、東京市牛込区原町(当時)の平野の自宅に寄宿していました。
今後も平野の研究を継続し、平野の福島時代もふくめてその全貌を明らかにしたいと考えています。
平野は、福島市あるいは福島県でもっと知られてもいい存在ではないでしょうか。
かろうじて『福島県史 人物編』には故庄司吉之助氏(福島市立第三小学校卒業後、福島民報社文選工を経て、福島大学教授)が執筆したと考えられる「平野小剣」の項目があります。
なお、「庄司吉之助」ですが、大阪人権博物館の朝治武氏の論文で、近代史研究に大きな功績を残した研究者であることを初めて知りました。大内先生にご教示いただいたのですが、現在庄司氏のお孫さんが「福島市ふれあい歴史館」に学芸員として勤務されています。
「福島県歴史資料館」には膨大な「庄司家寄託文書」が存在します。7月の文月会の折、お孫さんにお会いしたのですが、庄司家本家には まだ未整理の庄司文書が存在し、教育委員会管轄となっていて、公開の目途がたっていないということでした。
庄司吉之助は福島県水平社創立の中心メンバーの一人でした。一日でも早い公開を期待しています。
菅野 守 様 は 平成19年7月ご逝去なされました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
福島在住の「文月会会員」の皆様の平野に関する情報提供、誠に有難うございました。